近頃、仕事の合間の休憩時間になると、村の展望台で煙草を吸う習慣がついていた。食事は専ら、コンビニの栄養補助食品で済ませてしまうため、二分で終わる。
休日ならともかく、平日の昼間にこんな場所に来る人間はいない。だからそこで見かけた女に関しても、それ以外のものとして認識するのに苦労はしなかった。
女は、挨拶もせずに愚痴を発した。
「世の中、納得のいかないことが多すぎるのよ」
「……うん?」
「たとえば、幼い頃に初めてグレープフルーツを知ったとき、不思議に思わなかった? なんでこの果実はグレープと名がついているのに、こんなに酸っぱくて苦いんだろうって」
唐突すぎる疑問だったが、付き合う気になったのは、女の表情がやけに真剣だったからかもしれない。
煙草に火を点け、鉄柵に寄りかかる。真下に広がる湖水を眺めながら、答えた。
「先にグレープフルーツがグレープフルーツとして名付けられていたのなら、逆にも考えられる」
「だとしたら、グレープフルーツはグレープフルーツ単体でも不思議じゃない? フルーツは果物って意味で、果物は総称なのに、どうしてグレープフルーツって続けて言わなきゃいけないんだろう、って。グレープだけでいいじゃない」
「子供はそんなことで悩んだりしない」
「私は悩んだわ。親にも聞いてみたけど、今までそんな疑問は持ったことがないって顔してた」
「だろうな」
燃え尽きた灰殻が、落下していく。女の顔は直視したくなかった。
太陽を覆い隠した曇り空のおかげか、暑さはそれほどでもない。その代わり湿度が高く、じっとりとした汗が首筋を伝うのを感じる。
「結局、お父さんもお母さんも知らなかったから、自分で調べてみたわ。そしたらやっぱり、グレープフルーツの名前の由来はグレープから来てるって書いてあったのよ」
「類似点があったってことだ」
「香りが似てるからだとか、房状の実りかたが同じだからだとか、それらしい説明が書いてあったけど、私は納得できなかったわ。だって色も形も味もぜんぜん違うんだもの」
「ぜんぜん、ってほどじゃあないだろう」
「ぜんぜんよ。大きさ、重さ、手触りに口触りに歯触り、何もかも違うじゃないの」
「なら、ブドウって呼べばいい」
「ブドウは日本語じゃない」
「あんたの言葉も日本語だが」
「じゃあ、グレープフルーツは葡萄果物でいいの、って話よ」
「そういう話だったか?」
「グレープフルーツちょうだいって言ってる人に、ブドウをあげてもいいのかって話よ」
「意味がわからん」
「とにかく私はね、名称はしっかり分かりやすく納得のいく形で統一して欲しいのよ。もう定着してるから、なんてごまかしかたであやふやにされるのは真っ平ごめんだわ」
それなら、あんたがお化けなのか妖怪なのか幽霊なのか何なのか、はっきりして欲しいもんだ、と思ったが、そのまま尋ねることもせず、展望台を降りた。
かつて愛した女によく似た面影は、追いかけてくることはなかった。
生ぬるい追い風がふわり、と背筋を撫でる。
名前なんて、大した意味はないと、今では思うのだ。
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