この一年、いろんなことがありました。
「なかったよ」
ありませんでした。わたしは何にもしてませんでした。呼吸と摂取と排泄と睡眠だけがわたしの恋人で、こんなにたくさんいればもう怖いものなしだなあと思うのですが、世の中そうもいかずに他の恋人を探しなさいと皆さんおっしゃいます。皆さんは欲張りすぎだと思います。
もっとシンプルに、生きることの木訥さを味わうべきではないでしょうか。平熱を愛さない人は、余計に暑くなったり寒くなったり、何かと多忙で面倒くさそうです。くさそうというか実際そうです。熱を帯びた人も、熱が足りない人も、どちらにしても体力を多く消耗するだけでいいことがありません。
ですからわたしのように、一年を丸腰で過ごす生活は理想的です。息をして、息を吐いて、寝ころんで、身じろいで、時には笑ったり、ふとして泣いてみたり、明るくなったり、暗くなったり。何もなくても、何もしなくても人生は人生で、価値が下がるなんてことはないのです。
「君は、もっと多くのことを求めていたことを忘れてる」
何のことでしょう。これ以上、求めるものなんて何もありません。つまり、何もない今のわたしこそが、欲求の具現化を達成した証ではないでしょうか。
「何もないなんてことを、本気で信じてるの?」
信じるもなにも、事実としてわたしには何もないじゃないですか。見て下さい、この部屋を。何事かに打ち込んだり、挫折したり、達成したり、悔やんだり、閃いたり、憤ったりした形跡が、ひとつとして、ありますか? わたしはただこの白い部屋の白いベッドで小さくうずくまって、何にもとらわれず、何にもなれず、何にも感じ入ることなく、日々を過ごしてきたんです。
「だったらどうして、君はぼくと話している?」
そんなことは決まっています。あなたが話しかけるからです。石や草じゃないんですから、アクションがあれば、リアクションがあるのは当たり前の話です。わたしはあなたの問いかけに対して、ただ誠実に答えているだけのことです。
「誠実? 笑わせるね。君はまるで誠実に答えちゃいない。心の井戸を覗いてみなよ。確かにそこには何もないように見えるかもしれない。それでも君はまだ、枯れきっちゃいない。忘れてもいない。かつての情熱を。かつての渇望を。あの頃の、どうしようもない日々をどうにかしたいと思いながら、どうにもならなかった、ただ闇雲に探し続けていた、救いの手の柔らかさを。そのイメージの、暖かさを。鮮明さを。脳裏に浮かんでは止むことのない、まぼろしの、輝かしさを!」
オーバーな感情の表現は止めて下さい。わたしにそんな思い出はありません。そんな記憶をしまった引き出しはありません。ねえ、あなたは何者ですか。どうしてずっと、わたしにまとわりついてくるんですか。わたしが答えることにどうしていつもいつも、頷いてはくれないんですか。何の役にも立たないのに、何の力にもならないのに、何の手助けもしないのに、口だけは出してくるんですね。
「ぼくが何者かなんて、ぼくがどう名乗ったところで君が決めればいいことだし、ぼくがぼくをどう生かすかはぼくの勝手だし、君だってそうだろう? 勝手な間柄同士、人間は口を使って宣言し合うことで、現実における判断の指標を形作ってきたんだ。役に立たないと思うのならその通りだろうし、そうでない時はきっと、そうでない。聞きたくないのなら耳を塞げばない。答えたくないのなら口を噤めばいい。見たくないのなら目を閉ざせばいい。そうしないのはつまり、君がぼくの言葉に価値を認めているからだ。違うかい?」
……違ってようと、違ってなかろうと、それはそれでやっぱり等価値なんです。わたしの人生に口出しするのはやめてくれませんか。今日はもう眠るんです。消えて下さい。
「言われなくとも、そうするよ。いや、そうするしかないんだから――」
声は聞こえなくなりました。
わたしの部屋の、扉の向こう側。そこから答える声はいつもこうして、わたしが寝る間に考え事をしているときに現れるのです。
眠気が妨げられてしまったわたしは、ノートパソコンの電源を入れて、デスクトップにあるアイコンをクリックします。
ただ平凡に、ただ平坦に、平熱のままで、何も特別なことが起こらない、わたしの村。
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